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◇2019-10-28 (月)

奈良学園公開文化講座第35回「第2次大戦中の日本の原子核開発」を開催

  • 奈良学園公開文化講座第35回「第2次大戦中の日本の原子核開発」を開催

10月26日(土)、学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居において奈良学園公開文化講座を開催しました。

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今回講師にお招きしたのは、京都大学名誉教授で元奈良学園大学情報学部長の政池明先生です。素粒子物理学とその関連分野がご専門で、過去には日本学術振興会ワシントン研究連絡センター長として勤務されました。
講演は第二次世界大戦前の原子核開発研究の概観からスタートし、国際情勢に緊張が高まるなかで各国が原子爆弾の開発へ歩みを進めていった経緯が語られました。


アメリカでの原爆開発計画はよく知られていますが、ドイツの物理学者ハイゼンベルクも原子核開発を進めていました。結果的には原爆の開発に着手しなかったものの、その姿勢については「原爆開発を阻止しようとした」とも「当時の技術力では不可能だった」とも考えられており、現在でも明確な結論は出ていないとのことです。


そして本題である戦前・戦中の日本で行われていた原子核開発研究や、原爆投下直後の調査、そして敗戦後の米調査団と日本の名だたる科学者たちとのやりとりについて、豊富な資料をもとにくわしくお教えいただきました。
日本には当時理研、京大、阪大の3つの学術拠点で原子核開発が進められていました。材料となるウラン鉱の調達など課題も多い中、サイクロトロンやウラン235を濃縮するための熱拡散分離塔の建設を進めていたそうです。
原子爆弾について実際的な研究はされていませんでしたが、他国で機密扱いだった最新の知見を大学院での講義で扱っていたことも阪大の学生のノートからわかっており、当時の研究者たちの姿勢の一端がうかがえます。


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講演に登場した資料には、政池先生が2004年から2008年にかけてのワシントン滞在中、米国議会図書館や公文書館の所蔵資料を調査して得られた当時の文書が数多く含まれています。日本で日常生活を送る我々は通常まず目にすることのない貴重な資料です。
その中には終戦後、米調査団に没収され、京大の荒勝文策氏が涙ながらに抗議したというノート25冊のうちの実験ノート2冊も含まれています。


政池先生は一貫して公文書や手記などの文献を引用しつつ、落ち着いた口調でお話をされていましたが、事実の積み重ねから当時の国際的な状況や科学者たちの行動が浮かび上がっていく様子は、まるでドキュメンタリー映画のような重厚さがありました。


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庭ではアジサイが咲いていました。アジサイの多くは6~7月に花をつけますが、こちらは秋咲きの品種のようです。
終戦間近の1945年7月、悪化する戦況に直面しながらも、自らの研究領域に向かい続けていたであろう日本の科学者たちの胸の内に思いをはせました。

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