




◇2025-12-23 (火)
旧居の庭は、真冬を迎えるための支度を、着実に整えつつあります。柿の木はすでに葉をすべて落とし、枝の骨組みだけを空に向かって伸ばしています。余計なものをそぎ落としたその姿は、季節の節目を静かに告げているようです。
その静寂のなかで、白や淡いピンクのサザンカ(山茶花)が、控えめに花を開き始めました。また、見過ごしてしまいそうなほどひっそりと、お茶の木にも白い花が咲いているのに気づきます。華やかさを競うこともなく、香りを強く主張することもない茶の花は、ただそこに在ることを選んだかのように、冬の庭にふさわしい慎ましさを湛えています。
また、マンリョウ(万両)やナンテン(南天)は、赤い実をたわわにつけています。その鮮やかな赤は、冬枯れの庭にともる小さな灯のようで、見る者の心にほのかな温もりを残します。庭の植物たちは、年を越え、厳しい寒さを耐え抜きながら、やがて訪れる春の光を、急ぐことなく待ち続けています。旧居の庭は、季節の静寂と循環する生命の気配を映し出す、一つの舞台のように感じられます。
志賀直哉がこの高畑の家で執筆に向き合っていた日々、冬の庭もまた、彼にとって重要な思索の源であったに違いありません。『暗夜行路』完成へと筆を進める頃、彼はこの庭を眺めながら、表に現れにくいものの価値や、人の内面に潜む揺らぎに思いを巡らせていたのではないでしょうか。自然の摂理と人の営みを重ね合わせながら、この静かな空間で、彼は自らの内なる声に耳を澄ませていた、そんな時間が想像されます。冬の陽がサンルームに差し込む朝、庭に目を向ける彼の姿が、今もこの場所に重なって見えるようです。
近年、四季折々にこの旧居を訪れる人々もまた、この庭に流れる静けさに、日本文学が大切にしてきた精神性や、言葉になる前の感情の深さを感じ取っているように思われます。