◇2025-09-28 (日)
ようやく秋の風を、肌にかすかに感じられる頃となりました。
志賀直哉旧居の庭では、紅白の彼岸花が艶やかに咲き誇り、芙蓉の花もまた気品ある大輪をしとやかに広げています。
彼岸花は、その毒をもつゆえの神秘性と、秋の盛りに突如として姿を現す華やかさから、人を惹きつける「妖艶さ」を漂わせています。
妖しさをまとうその姿は、芸妓や舞妓の華やかな装いと立ち振る舞いにも通じ、古くから花街の比喩としてもしばしば用いられてきました。
一方、芙蓉は白や淡紅色の花を朝に開き、夕暮れには紅を帯びてしぼむ一日花。その様子は、酒に酔って頬を染める人の姿を思わせる「儚さ」を宿しています。
「妖艶」と「儚さ」。その対照が、庭の景色に静かな緊張感と深い美しさを与えているように思われます。
花街は、古来より多くの作家たちにとって、男女の機微を描く絶好の舞台でした。
志賀直哉の『暗夜行路』では、主人公・時任謙作が花街に身を寄せ、芸者との交流を通じて自身の内面を見つめ直す姿が描かれています。
永井荷風は花街を時代の光と影として描き、谷崎潤一郎は耽美的表現を駆使して芸者や遊里の世界を描き出しました。
彼らにとって花街は、華やかさと哀感を併せ持つ人間模様を映し出す鏡であり、それはまさに、彼岸花や芙蓉が象徴する「妖艶」と「儚さ」の世界そのものでした。
旧居の庭に立つと、作家たちが描いた花街の情景と、目の前に広がる花々の姿とがどこかで重なり合い、文学の一場面に身を置いているかのような感覚を覚えます。
そこには、人生の複雑さと文学の奥深さがそっと息づいているのです。
季節は確かに、夏から秋へと歩みを進めています。
日中はまだ残暑が残るものの、夜には涼やかな風が忍び寄り、季節の変わり目を静かに告げます。
そんな折に庭を彩る彼岸花や芙蓉の姿は、移ろいゆく季節と人の心模様を、優しくそして鮮やかに語りかけているようです。