




◇2025-07-25 (金)
奈良学園セミナーハウス・志賀直哉旧居にて、奈良学園公開文化講座第80回「近世大和の芝居」を開催しました。
講師は奈良学園大学人間教育学部人間教育学科 准教授の川端咲子先生です。
まず講座の前半では、江戸時代以降、近世における奈良(旧・大和国)地域の芝居や芝居小屋の歴史的な展開について、丁寧に解説していただきました。
特に注目されたのが、奈良市瓦堂町にかつて存在した「河原堂の芝居小屋」です。
現存する歴史資料を丹念に読み解きながら、その小屋がどのように変遷していったのかをわかりやすく紹介してくださいました。
講座の冒頭では、大正15年(1926年)1月18日付の志賀直哉の日記に記された一節が紹介されました。
それによると、志賀は当時、教育者の池田小菊氏や作家の武者小路実篤氏と散歩ののち、瓦堂町の「中井座」で『オペラ座の怪人』を観劇したとあります。
当時、瓦堂町周辺には複数の芝居小屋が建てられていたそうですが、幕府の政策により、芝居や演芸の小屋は一か所に集約する方針がとられていたとのことです。
その後、これらの劇場は時代の変化とともに映画館や商業施設へと転用されていきました。
こうした流れは、大阪・道頓堀など他地域の変遷とも重なり、文化施設の都市的な成り立ちを読み解く鍵となるようです。
続いて、当時の芝居番付表を用いた資料の紹介が行われました。
演目や配役に加え、興行の権利をもつ「名代」、そして劇場の所有者である「座元」などの肩書きがどのように記されていたかを具体的な実名とともに解説していただきました。
それぞれの役割や権限の違い、興行における関係性についても詳しくお話があり、参加者たちは当時の芝居興行の複雑な仕組みに興味深く耳を傾けていました。
講座の後半では、藤堂藩の無足人であった山本平左衛門の『大和無足人日記』に記された芸能に関する記述が取り上げられました。
この日記には、芝居をはじめとしたさまざまな芸能の状況が当時の視点から細かく記されており、貴重な資料であることが紹介されました。
川端先生による読み解きにより、参加者の多くが、当時の庶民が芸能文化にどう親しんでいたのかを生き生きと感じ取ることができたようです。
講座が行われたセミナールームの窓際には、大原館長によって手彫りされた横笛を奏でる音声菩薩(おんじょうぼさつ)像が静かに鎮座しています。
その優美な姿は、まるで本日の芸能の講話に耳を澄ませているかのようで、参加者の心に静かな余韻を残しました。