◇2025-06-23 (月)
6月、志賀直哉旧居の庭は、しとしとと降る梅雨の雨に包まれ、しっとりとした空気が漂っています。
花の数は少なく、全体に落ち着いた色合いが広がるなかで、紫陽花(あじさい)だけがひときわ美しく咲き誇っていました。
青や薄紅、白といった色とりどりの紫陽花は、雨粒を纏いながら、まるで時間が止まったかのような静謐な風情を漂わせています。
その姿はまさに、梅雨という季節がもつ"沈黙の美"を映し出す鏡のようです。
紫陽花は日本では古くから、「移ろう心」や「忍耐」を象徴する花とされ、ときに和歌にも詠まれてきました。
奈良では、矢田寺や般若寺といった名所で親しまれ、雨の似合う花として、長く人々に愛され続けています。
志賀直哉が奈良・高畑で暮らしていた日々にも、きっとこの紫陽花は、季節のしるしとして彼の目に映っていたことでしょう。
実際、随筆『奈良』のなかで志賀は、自然とともにある生活の美しさに触れ、感性を研ぎ澄ませていた様子が伝わってきます。
庭に咲く紫陽花も、そうした彼の心にそっと寄り添っていた風景の一つだったのかもしれません。
志賀直哉にとって梅雨は、内なる声に耳を澄ませ、文学という形で心の輪郭をなぞる季節であったに違いありません。
収穫を終えた梅の木の根元には、擬宝珠(ぎぼうし)がひっそりと咲き始めています。
その花言葉は「沈静」や「変わらぬ思い」。静かに降り続く梅雨の雨とよく調和し、庭にしっとりとした深みを添えています。
ふと見上げれば、楓(かえで)の枝には、翼のような形をした種「翼果(よくか)」が伸びています。
また、柿の木には、青いピンポン玉ほどの実が無数にふくらんでいるのが目にとまります。
旧居の庭では、暑い夏を迎える前に、すでにその先の季節への準備が静かに進められているようです。
深まりゆく緑の中、訪れる人の足音も自然とゆるやかになります。
梅雨の静けさに抱かれながら、厳しい夏の訪れを前にした、一瞬の余白のような時間が、この庭を静かに満たしています。