学校法人奈良学園

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◇2025-05-21 (水)

5月の志賀直哉旧居

  • 5月の志賀直哉旧居
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 雨上がりの初夏、旧居に向かう道を東に歩めば春日野原始林あたりから新緑の香りが漂って来るようです。
この季節、文化的な空気感を求めて、多くの観光客が、旧居を訪れているようです。
またその中には、ヨーロッパやアジア諸国などから来られた海外からの訪問者も多くなっているようです。

 庭に置かれた椅子に腰掛ければ、昭和初期の旧居の情景が浮かぶようです。
志賀直哉が高畑町に居を構えたのは1929(昭和4)年のことです。
ここで志賀直哉は小説「暗夜行路」の後編を始め、『痴情』、『プラトニック・ラブ』、『邦子』、『鳥取』、『雪の遠足』、『リズム』など多くの作品を執筆しています。
また、ここは「高畑サロン」として当時の文化人たちが集いました。
その中には白樺派の盟友・武者小路実篤、美の本質を探究した柳宗悦、そして英国から訪れた陶芸家バーナード・リーチなどが名を連ねます。
彼らは、ただ芸術や思想を語り合っただけでなく、志賀家の食卓を囲みながら日常の一部としての文化を大切にしたそうです。

 志賀直哉は、客人を飾らないもてなしで迎えました。
奈良の地のものを使った質素ながら丁寧な和食。
ある朝、柳宗悦とバーナード・リーチが共に食した味噌汁の味に、リーチは「これは芸術的な味だ」と語ったという逸話も残されています。
静かな朝の縁側、庭を前に湯気立つ味噌汁をすすりながら、彼らは何を思ったのでしょうか。

 志賀はまた、洋風建築の意匠を取り入れた自邸の設計にも関わり、居住空間そのものを一つの作品として育んでいました。
柳宗悦や河井寛次郎は、その空間と奈良の古建築、仏像に深く感銘を受け、後の民芸思想や陶芸表現にまで影響を及ぼしたと言われています。

 旧居の庭にはチリアヤメの小さな花が静かに咲いています。
可憐ながら気品を感じさせるその姿は、かつてこの場所で交わされた深い対話や、飾らぬもてなしの記憶を静かにたたえているかのようです。
花言葉は「運命の出会い」そして「あなたを大切にします」。
この庭を訪れる人々が、過去と現在をつなぐ文化の橋を心に感じ取り、それぞれの日常へと何か小さな安らぎを持ち帰っていただければと思います。

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