◇2025-05-19 (月)
奈良学園セミナーハウス・志賀直哉旧居にて、特別講座白樺サロンの会「古都奈良と日本文化」を開催しました。
講師は建築史家で相愛大学名誉教授の呉谷充利先生です。
日本文化と特性は、他国文化と比較的な視点で語られたり、単独の文化として語られるものではなく、いわば雑種文化であると言えるそうです。
雑種と言えば、格下であるかのようなイメージを持つ人もいますが、古来からの生活文化の上に、仏教文化など異質の文化が混入し、独自の発展を遂げた上で成立したのが日本文化であるそうです。
それは日本列島が、他国とは絶妙な間合いを保つ位置にあったことが、独自の雑種文化を築く要因となったようです。
同じように島国であるイギリスのブリテン島は、容易に渡ることのできるドーバー海峡越しに、襲来したケルト人など他地域からの征服者が文化をもたらしたと言えるそうです。
それとは異なり、日本の文化は征服者からもたらされた文化ではなく、仏教で言えば仏像や仏典などのドキュメントとして入ってきたということが言えるそうです。
続いて運慶作の光福寺北円堂の無着像と、同じ時代に創られたクリュニー美術館のアダム像、メロス島出土でBC2世紀前半に創られたとされるミロのヴィーナスを見比べながらの考察を行いました。
ミロのヴィーナスとアダム像は、神話としての人物像であり、なおかつ神の写せ身と言われたリアルな人間の肉体美として見事に表現されています。
それに対して、無着像においては、神話の人物ではなく、実在した人物が放ってる内なる霊性を表現しているそうです。
この霊性こそが、インドや大陸の仏教文化ではなく日本文化として定着した独自の精神性を表現していると言えるそうです。
それは、外的な神仏からもたらされた感情ではなく、悲しいものは悲しいと自らの内面から湧き出るものを表現することだと教えていただきました。
この日本文化的特性は、美術に限らず、科学などの分野にも共通するそうです。
最後に、西洋の「我思う、故に我あり」でなく、日本文化の特性を「我に他者あり、故に我思う」と投げかけられました。