◇2024-12-23 (月)
「私は依然として大河の一滴の水の一滴に過ぎない。それで差支えないのだ。」この文章は志賀直哉が1969年に朝日新聞PR版と自著『枇杷の花』の両方に掲載した「ナイルの水の一滴」からの引用です。人間が長い歴史の中で生き死に、「私もその一人として生れ」た存在として「悠々流れるナイルの水の一滴のようなもの」だと語っています。その上で「それで差支えないのだ」と語り、その侘しさや寂しさを、むしろ面白みとして受け入れているように感じます。
志賀直哉は表現様式としての「侘び寂び」だけではなく、実際に人間としての「侘しさ」や「寂しさ」に心惹かれていたようです。常に自己の心と向かい合いながら、誰もが他者との精神的な隔たりを感じ続けることの意味について探求する宗教観に近いものを感じます。おそらくそれは禅宗的な思想だけではなく、志賀直哉が若い時に門下生となった内村鑑三を通して受けた侘しさや寂しさに由来するものだと考えられます。
12月21日の冬至を過ぎ、本格的な冬日が到来し始めた旧居の庭では、サザンカ(山茶花)以外は、すっかり艶やかな花々が影をひそめています。年末になって、多くの来訪者が来られ、そんな侘しさや寂しさすら感じる庭をただ眺められている姿をよく見かけます。冬の日の枯れた風景を魅せてくれる庭の風景を眺めていると、「わびさび」の趣を感じられているに違いありません。たぶん、そうした空気を通じて、志賀直哉の感性とつながるような感覚を持たれているのでしょうか。
まもなく新年を迎え、マンリョウ(万両)やナンテン(南天)の実が実っています。マンリョウは、江戸時代からお金に良い縁起をもたらす木として「家が長く栄える」縁起木とされていました。「ナンテン」は「難を転ずる」と言われ、花言葉でも「福をなす」植木として、親しまれています。いずれも、正月に相応しく幸福を招く植物です。
旧居の庭から、良い年を迎えられますことを心からお祈り申し上げます。