◇2024-10-28 (月)
10月28日(月)、奈良学園セミナーハウス・志賀直哉旧居にて、奈良学園公開文化講座第73回「大和の雅陶 赤膚焼について」を開催しました。講師は赤膚焼窯元、前奈良県工芸協会理事長の小川二楽先生です。
最初に志賀直哉から東大寺元館長・上司海雲に贈られた白磁壺にまつわるエピソードをお話しいただきました。展示されていたこの壺が1995年に盗まれ、賊が逃げる途中に落としたことで粉々に砕け、その後、元の形に修復されたそうです。この白磁壺は18世紀に朝鮮で製作された作品で、上半分と下半分が別々に焼かれ、合体させるという手法だったようです。
このように陶器は製作された国や地域によって、製法がまったく異なる場合があることを教えていただきました。
赤膚焼は、その名称について諸説あるそうです。歴史的には赤膚焼は安土桃山時代に大和郡山城主であった豊臣秀長が陶工を呼び寄せて窯を開いたのが始まりであると伝えられています。その後、江戸時代が終わるまでの赤膚焼の歴史的実証については不明な点が多いそうですが、幕末の頃に郡山堺町の奥田木白が、赤膚焼として焼き物を全国に広げていったそうです。これが現在の赤膚焼の元となったと教えていただきました。
講座の中では、奥田木白家に残る覚書や、その他、赤膚焼に関係する古い文書について、紹介していただきました。
また小川先生が講座に持って来られた中国や韓国の古い陶器の器や、窯跡にあった陶器の破片、あるいは陶器に使う土を、受講者が実際に手に取って、それぞれの感触や重さなどを体感しました。
小川先生が講座の中で「特に手捻りの陶器は鑑賞する対象だけではなく、お茶や食事をいただく時に手に優しく馴染む、生活に役立つ道具」であると教えていただきました。
サンルームのテーブルの上に、旧居の庭から取ったイヌタデがコスモスと寄り添うように生けられています。陶器はイヌタデの「あなたのお役に立ちたい」と言う花言葉を連想させてくれます。