◇2024-09-15 (日)
真夏の記録的な暑さが原因でしょうか。旧居の柿の木を見上げると、葉ばかりが目立ち、僅かしか実をつけていません。例年であれば今頃は秋に向けて、「サルカニ合戦」でカニが投げたような緑色の硬い実が無数に枝を賑わせているはずです。
そう言えば、旧居の梅も今年はあまり実をつけなかったようです。確か全国的にも梅の不作だったようで、その原因として暖冬により開花が通常より早過ぎたことと、その後の長期間の冷え込みがあげられています。また受粉の役割を担うミツバチなどの昆虫が少なかったことにもよるそうです。いずれにしても、当たり前のように異常気象と呼ばれる状況が続く昨今です。
また8月以降、台風の大型化に加え、進路コースが読み辛い気象状況が続いています。台風と言えば志賀直哉は昭和9年(1934年)、室戸台風が関西を襲った後『颱風』を文藝春秋社の依頼で執筆しています。
日記風の文面の中で、どれだけ創作が含まれているかは不明ですが、台風が襲う前日から、通り過ぎた次の日の夕方までの様子が綴られています。台風の当日の朝には、「風で傘が使えなかった」ほど、風が吹き始めていたようです。直哉は子どもたちを今日に限って自動車で学校や幼稚園に送り出し、部屋の整理やガラス戸にネジ釘を差すなどと台風に備えていたことが綴られています。まもなく強風が到来し、「二階の廊下の西向きの窓から見ると、はたしてひどく折られ、いままでにないほど、幾つも白く、折れ口をあらわしていた。不意に瓦が二、三枚目の前の玄関の屋根に落ちて、カラン、カランといやにさえた響きがした」と、その状況を記しています。また台風が過ぎた後の近隣の様子なども書かれています。特に春日大社まで歩くと「石灯籠の死骸で道が埋まっていた」とその状況を表現しています。
「私たちは何となく快活になっていた。(中略)塀が倒れ、その辺が広々したり、庭木の枝が少なくなって空がよく見えたりするのは悪くないものだ」と感想を述べています。ただその後に、大阪の惨害を知って、「昼間のような快活な気分にはなれなかった」と記しています。
セミナールームの窓際には、大原館長が手彫りした仏像彫刻(六地蔵、聖観音、薬師如来、吉祥天)が展示されています。まだまだ台風が来る季節を迎え、私たちを見守っていていただければと願います。