◇2024-05-27 (月)
今年も旧居の庭にモリアオガエルが帰ってきました。今年は池の端の柿の木に、卵をいっぱい含んだ白い繭のような卵塊が見受けられました。やがて泡の塊の中でおたまじゃくしが生まれ、ぽっとんぽっとんと真下の池に落ち、泳ぎ始めます。
梅雨が明けるか明けない頃になると、モリアオガエルは旧居の池の睡蓮の葉の上で、コロコロと歌い始めます。その音色は、けたたましく合唱する田んぼの蛙とは違い、どこか情緒的で物悲しい響を感じます。モリアオガエルはまるでこの場所が内面的描写に長けた志賀直哉宅の池だと知って、毎年この池を訪れるかのようです。旧居の近くの春日山原始林に隣接する森の中に、モリアオガエルが生息する池があります。モリアオガエルは、奈良県では絶滅危惧種I類に指定されているそうです。
蛙に関しては、『城の崎にて』の中で蛙が登場する場面があります。「温泉に入ってから散歩に出た。川のそばを歩いていると、一匹の蛙が川に落ちた。蛙はもがきながら流されていく。それを見ているうちに、私はふと自分の病気のことを考えた。流されていく蛙の姿が、自分の運命と重なって見えた。」この箇所は、志賀直哉が自然を観察しながら自身の内面を見つめるシーンの一つです。蛙が川に流されていく様子は、作者にとって生命の儚さや自然の無情さを象徴しており、その中で自身の病気や生死についての思索が深まる場面です。
「城の崎にて」全体を通じて、志賀直哉は自然との対話を通じて自己の存在や生命の意味を問い直す姿勢を描いており、蛙をはじめとする動物たちの描写はその一環として重要な役割を果たしています。
旧居の中庭の芝生で足元を見ると、可愛いニワゼキショウに混じりチリアヤメ(ハーベルティア)が花を咲かせています。いずれも梅雨時を挟んで初夏から夏にかけての移ろいを知らせてくれているようです。