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◇2024-05-27 (月)

奈良学園公開文化講座 第69回《菓子の歴史とこぼれ話》を開催しました

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5月27日(月)、奈良学園セミナーハウス・志賀直哉旧居にて、奈良学園公開文化講座第69回「菓子の歴史とこぼれ話」を開催しました。講師は御菓子司「本家菊屋」二十六代目の菊屋英寿先生です。


 最初に本家菊屋にまつわる歴史とエピソードについてお話いただきました。
天正十三年(1585年)、菊屋治兵衛(きくやじへい)が豊臣秀吉の弟、豊臣秀長に連れられ、秀吉をもてなすお茶会の菓子としてきな粉をまぶした一口サイズの餅菓子「鶯餅」を献上したのが本家菊屋の始まりと言われているそうです。


 当時、砂糖は非常に貴重な甘味料で、日本では古来より蔓性植物のアマズラ(甘蔦)から抽出する甘味成分を利用していたようです。今ではお菓子と言えば甘い餅や飴を想像しますが、かつて日本では、菓子と言えば水菓子が主流だったそうです。水菓子とは果物のことを意味し、かつては不老長寿の実として尊ばれた橘を広めた田道間守(たじまもり)についても教えていただきました。


 第二次世界大戦後に、祖父が中庭を掘っていたら小判や一分金、一分銀が出てきて、それを元手にお店の土地を購入した話など、本家菊屋の今に至るという興味深いお話をしていただきました。


 また紅白饅頭の謂れや、三笠饅頭についてのお話、曽祖父が新しいもの好きで、クッキーを始めたことなど、奈良の和菓子の事はじめに関わるお話をしていただきました。ちなみに三笠山は奈良の春日山の前にある山で、その形に似ている饅頭ということで付けられたそうです。現在は一般的に御蓋山、もしくは若草山と言われています。


 志賀直哉は非常に甘いもの好きだったそうです。例えば『暗夜行路』や『城の崎にて』などの作品には、登場人物が甘いものを食べる場面が描かれておりますが、これも志賀直哉の嗜好を反映したものと言われています。


 特に和菓子が好きで、大福餅に砂糖をかけて食べるといったエピソードも残っています。
志賀直哉の友人である谷崎潤一郎や武者小路実篤なども、彼が甘いものを楽しむ様子を証言しています。また志賀直哉がどら焼き(三笠饅頭)を好んで食べていたという逸話もあります。

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