学校法人奈良学園

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◇2024-02-19 (月)

2月の志賀直哉旧居

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 初春の冷たい雨が降る旧居の庭で、白梅が満開です。
梅は桜より日本へ先に渡来し、特に奈良時代から平安時代にかけては春の訪れを象徴する花として桜よりも愛され続けて来たようです。

 梅の伝来については、3世紀(弥生時代)の終わり頃、百済の帰化人である王仁(わに)氏がもたらしたとする説や、遣隋使が漢方薬の「烏梅(うばい)」として日本に持ち帰ったという説など諸説があります。

 梅の花にまつわる歴史的なエピソードと言えば、まず頭に浮かぶのが菅原道真です。
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」。
道真は、いわれのない罪で太宰府に流される時に、この歌で京都の自邸の庭に咲く梅の花に別れを告げると、梅は大宰府まで飛んで行ったという伝説があります。
今も太宰府天満宮に咲くその梅は「飛梅(色玉垣という品種)」と呼ばれ、他の梅よりも早く花を咲かせているそうです。

 今の元号「令和」は、大伴旅人が作った歌「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして 気淑(きよ)く風(かぜ)和(やわら)ぎ、...」から2文字を取って名付けられています。
これは『万葉集』巻五にある「梅花の宴」の歌32首の序文からの引用です。
旅人が藤原氏との権力争いに負け、60歳を超えて大宰府に赴任した頃に記された歌です。
一般に「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という意味が込められていると説明されています。
その上で旅人の境遇と心情を考えると、大きな権力に巻かれてしまわないようにと、現在の日本人に告げているように思われます。

 旧居の玄関先ではアオキが、例年よりも多く真っ赤な実を付けています。
「初志貫徹」を花言葉に持つアオキは日本原産の常緑低樹で、かつては多くの家の庭木として植えられていました。

 日当たりの悪い劣悪な環境でも育つアオキは、江戸時代後期から世界中の著名なプラントハンターたちの目に止まり、ヨーロッパなどに紹介されています。
アオキも梅と同じように、世界の時流に流されず、生命力を主張し続けることの大切さを伝えてくれているようです。

 梅の花もアオキの実も、そこから醸し出す空気が、独自の世界観を描き伝え続けた志賀直哉と重なるようです。

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