学校法人奈良学園

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◇2024-01-29 (月)

1月の志賀直哉旧居

  • 1月の志賀直哉旧居

 大変な出来事から今年の一年がスタートしました。能登半島地震。
志賀直哉旧居のある奈良の高畑町でも、地震発生時刻には体に感じる揺れがあり、春日大社などへ初詣に向かう多くの人々のスマートホンから警報音がけたたましく鳴り響いていました。

地震発生から1ヶ月を過ぎて、停電が続いていた地域にも徐々にあかりが灯り始めましたが、ガスや上下水道の完全復旧には、まだまだ時間がかかりそうです。
今回の震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げると共に、1日も早く復興されることを祈ります。

我が国は地震大国と言われ、近年に入ってからも、何度も大きな震災に見舞われています。
志賀直哉は関東大震災1923年(大正12年)には、京都に移り住んでいました。
しかし直哉は関東が大変なことになったと聞き、東京で一面の焼け野原になってしまった変わり果てた街の風景や荒んだ人々の状況を『震災見舞』の中で記しています。

震災が起こる度に、電気・ガス・水道などのライフラインが寸断され、被災者の生活に大きな影響を与えています。

ライフラインの大切さを意識してのことかどうかはわかりませんが、旧居の台所には都市ガスで煮炊きする設備が完備されていました。
公共のガス事業が大正後期に認可され、旧居に都市ガスが引かれた昭和初期には、一般ではまだまだ薪で調理をする家が大半を占めていた時代です。
旧居の台所には壁面ビルトインの氷冷式冷蔵庫(氷のブロックで庫内を冷やす)、さらには上水道が備わっていました。
1枚の天板の上で調理から洗い物までこなせ、食事がハッチを通してダイレクトに隣室の食堂に直接運べるダイニングキッチンとなっています。


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また、上水道の利用ができたことから、サンルームには大きな蹲(つくばい)、いわゆる手水鉢が備え付けられており、水道のバルブをひねると水が湧き出てスイカや飲み物を冷やすことができたそうです。 

さらには浴室には当時珍しい水シャワーも設置され、洗面所でも栓をひねるといつでも清潔な水が使えたようです。


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こうした旧居に備えられた当時最先端の工夫は、快適を求めた合理性だけではなく、ライフラインの重要性に早くから着目した志賀直哉の先見性が伺われます。

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