◇2021-08-16 (月)
8月16日(月)、奈良学園セミナーハウス・志賀直哉旧居にて、特別講座白樺サロンの会第4回《亡き兵士に捧げるイメージ》を開催しました。
講師は美術史家であり愛知県美術館学芸員の平瀬礼太先生です。
この日は京都の五山送り火があり、この時期にふさわしいテーマの講座となりました。
戦後、とくに1960年代以降は死が遠い社会となってきましたが、戦前は飢餓や戦争により、死が身近な存在でした。
明治国家設立の時期から、戊辰戦争によって多くの若い兵士が命を落とし、以降、国家は国民の戦意高揚のために、平凡な兵士の戦いを尊重し、遺族を慰め、郷土の誇りとしてたたえることに重きを置いてきました。
日清戦争以前は『遺影』とは生きていた人の記録のことで書物でしたが、日清戦争以降は『イメージ(画像)』としての『遺影』に変化していきました。
日露戦争の時代からは、軍人の肖像画や肖像写真が増えていきます。富山県には『兵隊地蔵』と呼ばれる石像も作られました。
岐阜県美濃市の善光寺にも、日露戦争で戦没した兵士の木像170体が、遺族の発注により、名古屋の人形師により制作され、安置されました。木像の裏には戒名が記されています。
1930年代には材質が変わり、セメントの像が多く作られていきます。知多半島にある中之院に残されている、浅野祥雲作の軍人像はその代表的なものです。
像をつくる材料が豊富にあり、人形師も多かったことから、これらの兵士の慰霊の像は中部地方で多く作られたそうです。
最後に、講座を担当していただいた平瀬礼太先生は、これらの兵士像を研究してこられて、「紹介してきました亡くなった兵士像は、すべてモデルがあり、名前が残されていますが、ひとつひとつは個性が無く、まさにこれが軍隊だなという印象を持っています。尊い命をなくされた兵士を顕彰したいという、現世に残された人達の気持ちとうらはらに、その真心を国家に利用されていた側面もあったのではないでしょうか。」とお気持ちを述べられました。
終戦記念日に近く、お盆の送り火を焚く日に、いろいろと考えさせられる講座となりました。
池の蓮の花の季節も終わり、蝉しぐれが聞こえます。
旧居は、連日降り続く雨をさえぎる様に、草木が葉を茂らせ、庭全体を緑一色に覆っていました。