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◇2020-11-09 (月)

奈良学園公開文化講座第40回「志賀直哉と蝶花楼馬楽」を開催しました。

  • 奈良学園公開文化講座第40回「志賀直哉と蝶花楼馬楽」を開催しました。

11月7日(金)、奈良学園セミナーハウス志賀直哉旧居にて、奈良学園公開文化講座第40回「志賀直哉と蝶花楼馬楽」を開催しました。
講師は天満天神繁昌亭の支配人、恩田雅和さんです。


恩田さんは新潟県のご出身。慶應義塾大学在籍中に結核で入院し、療養中のラジオがきっかけで落語と出会います。大学に復帰後、新宿末廣亭に通っては昼から夜まで落語を聴く生活を送り、卒業論文でも落語を取りあげました。大学院を経て和歌山放送に入社。現在は大阪の落語定席、天満天神繁昌亭の支配人を務めておられます。


講義では志賀直哉と落語、とりわけ思い入れの強かった三代目蝶花楼馬楽とのかかわりや、明治~昭和にかけて活躍した文豪たちに落語が与えた影響について、豊富な資料をもとに解説していただきました。


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志賀直哉は高等科時代、女義太夫に熱中し、寄席に通ううち落語にも傾倒していきました。観客を感動させる女義太夫の芸は小説家を志すきっかけにもなったと、晩年に近い83歳頃のインタビューで語っています。
東京帝国大学に入学してからも落語熱は衰えず、友人とともに寄席を訪れたり、常盤木倶楽部での落語研究会に顔を出したりと熱心に活動を続けました。


橘家圓蔵や橘家圓喬などさまざまな噺家を好みましたが、中でも入れ込んだのが蝶花楼馬楽です。
当時の日記からは日をおかず寄席に通っていることがわかるほか、馬楽に自分の師であった夏目漱石の『坊っちゃん』掲載誌や心付けを贈ったことや、「馬楽痛快を極む」と絶賛する感想も記されており、その情熱がうかがわれます。


小島政二郎や武者小路実篤とも落語についての議論をしており、作家同士の交流を深めるにも一役買ったようです。
蝶花楼馬楽は落語の才と深い教養を高座で発揮する一方、酒や道楽にのめり込んで健康を害し後年は精神病院に入院するなど浮き沈みの激しい噺家で、多くの文人墨客に愛されました。


吉井勇『苦楽』では馬楽がモデルと思われる人物が主人公として登場します。
夏目漱石の作品に登場人物が噺家を評する場面や、展開そのものが落語のパロディと思われるものがあり、志賀直哉自身も『暗夜行路』の中で落語を引用しているなど、落語が当時の日本文学に与えた影響は少なくないものがありました。


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講義では蝶花楼馬楽、橘家圓喬の肉声音源も聴かせていただきました。明治時代にイギリスから輸入された録音技術を使ったもので、当時の噺家を伝える貴重な資料です。


質疑応答では「志賀直哉はなぜ落語に惹かれたのでしょうか」という質問があり、恩田さんは「志賀直哉は故郷の宮城県から若くして上京しました。新潟県出身の坂口安吾も上京したあと浅草の下町によく通っていたといいます。坂口安吾と同郷である私自身、地方から上京してひとりで暮らす寂しさには覚えがあり、志賀直哉はその中で落語に出会ったのではないかと想像します」と話しておられました。


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庭の柿の木はすっかり葉を落とし、鮮やかに色づいた実だけが枝に残っています。講義に登場した『暗夜行路』がこの地で書き上げられた時も、柿の木が見守っていたのでしょうか。

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