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◇2016-01-30 (土)

志賀直哉旧居(奈良学園セミナーハウス)は、奈良県有形文化財(建造物)の指定を受けました

  • 志賀直哉旧居(奈良学園セミナーハウス)は、奈良県有形文化財(建造物)の指定を受けました

この度、学校法人奈良学園セミナーハウス志賀直哉旧居(以下、志賀旧居)は、奈良県有形文化財(建造物)の指定を受けましたのでお知らせします。


奈良県HP http://www.pref.nara.jp/42048.htm
指定の概要 http://www.pref.nara.jp/secure/152266/H27sitei-1.pdf


奈良県内の近代住宅建築は純然たる洋館や洋室を設けずに、全体構成は和風を主とし、和洋折衷の部屋を内に組み込むものが多く、志賀旧居はその特徴を示す代表例であり、県内近代和風建築の形成を示す貴重な遺構として重要であるとの評価をいただきました。

朝日新聞H28.1.29.jpg
・2016年1月29日(金)朝日新聞 地域(奈良北西版)/承諾書番号 A15-2354
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読売新聞H28.1.29.jpg
・2016年1月29日(金)読売新聞 /掲載許可済
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志賀旧居は、昭和4年に志賀直哉自身が構想し、京都数寄屋大工の下島松之助が竣工した邸宅です。直哉は家族とともに昭和13年迄の約9年間をこの邸宅で過ごし、昭和12年には、ここで『暗夜行路』を書き上げました。

当時「高畑サロン」とも呼ばれ、武者小路実篤や谷崎潤一郎など、名だたる文化人たちが集い語り合った場所としても知られています。


昭和13年に直哉が東京へ転居した後、昭和14年に邸宅は売却されました。以降、個人宅として、また昭和22年からは進駐軍の宿舎として、昭和28年からは厚生省厚生年金保養施設「飛火野荘」として使用されてきました。

その後、「飛火野荘」老朽化の建替え計画にともない、解体の話が持ち上がると、近隣住民から草の根保存運動が起こりました。保存を願う声の高まりをうけて、昭和53年奈良学園理事長伊瀬敏郎の英断により、買収し保存することになりました。同年11月18日から、「奈良文化女子短期大学セミナーハウス志賀直哉旧居」として一部公開を始めました。


志賀旧居が変遷をたどる中で様々な改築の手が加えられていましたが、当学園は、平成20年、老朽化に伴う改修に当たり思い切って直哉が暮らしていた当時の姿に復元することを決断しました。

改築部分の薄皮を一枚一枚はがすようにして原型を掘り起し、あわせて当時の写真を参考にした復元工事によって、志賀直哉自身が設計した当時の全容が明らかになり、この建物の魅力、志賀直哉の人物像、家族観、奈良での暮らしを求めた直哉の人生観等をよりよく理解することが可能になったという点においても、重要な復元工事でありました。東洋美術に傾倒していた直哉が、白樺派の理念にも通ずる西洋的な機能美と融合させ、様々な工夫を凝らした建物であることがよくわかります。


直哉の目線をとおした奈良文化の発見の場、また、新しい奈良文化の研究・発信の拠点としても、学生の教育活動や多くの方々の学び、文化活動の場として活用されるよう、価値ある文化財(建造物)を今後も大切に継承してまいります。


奈良学園セミナーハウス志賀直哉旧居
http://www.naragakuen.jp/sgnoy/

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