学校法人奈良学園

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◇2015-03-16 (月)

古典講読講座《芭蕉と大和》後期第5回を開催

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本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居で古典講読講座《芭蕉と大和》後期第5回(最終回)を開催しました。講師に、奈良学園高等学校元教員の吉村治彦先生をお招きし、月1回のペースで『笈の小文』を読んできました。

本日は、これまで『笈の小文』で芭蕉の旅の足跡の総まとめでした。「(俳聖)芭蕉と"奈良"」というテーマで、芭蕉にとって "吉野"行の目的は何であったのか、また、『野ざらし紀行』のときと『笈の小文』のときとでは、芭蕉に起きた変化を考察しました。

1684年(貞亨元)、41歳の芭蕉は『野ざらし紀行』で冬の吉野山を訪れました。そして5年後の1689年(貞亨5)春に『笈の小文』で吉野山を再訪します。先生はそれぞれで読んだ句の違いを指摘され、「師と仰ぐ西行に近づきたいという一心から訪ねた吉野山でしたが、先に詠んだ句にはすごい気負いがあるのに対し『笈の小文』では心中で念じる西行という高みに溶け合うことを連想させます」と解説されました。

体力にも自信のあった「死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮れ」(『野ざらし紀行』)から、4年という歳月の中で、芭蕉にどのような変化があったのか。1686年(貞亨3)、芭蕉43歳のときに詠まれた名句の「古池や蛙飛びこむ水の音」について、その歌意を考えました。「古池」「蛙」「水の音」が三位一体となっており、"不易流行"という芭蕉の俳階の到達点を示す境地がほぼ完璧な形で示されているということです。

芭蕉は、この境地で『奥の細道』の旅に出た後、関西で生活します。そして51歳のとき、九州への旅に出ました。その折には持病に苦しみながら大和を通り暗峠を越えて大阪に出ますが、友人の花屋仁左衛門宅で臥せり臨終に至ります。奇しくも過去に詠んだ「旅に病むで夢は枯野をかけめぐる」が辞世の句となりました。

先生は、重篤の芭蕉の枕頭に馳せ終焉まで看取る門人たちを赤裸々に描いた、芥川龍之介の『枯野抄』を示して、「人間の持つ性(さが)を読み取ってください」と勧められました。そして「講座では芭蕉の世界のほんの入り口に立っただけかも。皆さん、足を踏み入れてみてください」と結ばれました。最後に、本講座中に受講生から募られた作品をまとめた記念文集『小品』を配られ「すばらしいものができました」と感想を述べられました。

旧居の庭では、水仙、椿に続き、沈丁花のい芳香が漂い、バイモも膨らみ始めています。

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