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◇2015-03-09 (月)

古典文学講座《古今和歌集》後期第5回を開催

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本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居で古典文学講座《古今和歌集》後期第5回を開催しました。講師に京都女子大学国文学科教授の西崎亨先生をお招きし、月1回のペースで『古今和歌集』を読み解いてきました。

本講座ではこれまで『古今集』の歌を、『伊達本』『俊成本』『元永本』などの表記の違いと、その注釈の違いを比べ、一字の違いが歌意を大きく左右することに焦点を当てて学んできました。最終回の本日は、【『古今和歌集』巻第十九 雑躰(ざつてい)】と題して、そこに記載されている短歌、長歌、俳階歌について考察しました。

1004番歌以外の、1001~1007番歌は長歌とありますが、その1004番歌を「5、7、5、・・・」と一字ずつ数えながら音読していくと、普通の長歌と異なります。『古今集』には「短歌」とあるのを、『古語大辞典』で「長歌の誤称」とした説がありますが、先生は、「普通の長歌とは違うので『雑躰』に入れたのでしょうか」と解説されました。

次に巻第十九・1027番歌「あしひきの山田の案山子(そほつ)おのれさへわれを欲しといふうれはしきこと」の「われおほしてふ」を『伊達本』『俊成本』『元永本』で比較しました。この歌は俳階歌(滑稽・奇抜な着想による歌)ですが、ほとんどの古典注釈書が「お前までが私を欲しいというのか」的な訳であるのに対し、「お」に「多」や「巨」の字が当てられたら全く意味が違って「お前までが私をでぶっちょだというのか」となると話されました。

先生はまた、枕詞「あしひきの」について、ご自身の論文「地名という文化財―『峯(岑)はし』の発見」を提示され、「枕詞は意味がないなんて言われますが、たった31文字の歌の中で意味がないはずがないです」と自説を述べられました。以前に関わられた調査で「経文」にあった「峯」と「岑」に「ハシ」の訓読みを見つけ、「はしひきの」と読むなら「山」の枕詞として納得がいくと考察されたのだそうです。


先生は、「いろいろな疑問(言葉や文字表記について)を持っていると様々な出会いがあり、面白いです。言葉遊びには日本人の機知を感じます。言葉遊びをしながら言葉とどう付き合っていくのかが大切です。長い間、雑談にお付き合いくださりありがとうございました」と、笑顔で締めくくられました。

旧居の庭では、先週開花し始めた白梅が満開を迎えています。

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