◇2015-02-02 (月)
本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居で古典講読講座《芭蕉と大和》後期第3回を開催しました。講師に、奈良学園高等学校元教員の吉村治彦先生をお招きし、月1回のペースで『笈の小文』を読んでいます。
本日は、芭蕉と万菊丸(杜國)が伊賀を発って大和へ向かう「道中」からです。先生は、芭蕉の足跡を地図で確認しながら読み進めていかれます。
芭蕉は、名張から現在の国道165号線を西峠越えで桜井を経て、談山神社、細峠へと進み、ようやく吉野へ入るのですが、荷物は必要最小限にしても過酷な旅であったようで、「草臥(くたびれ)て宿かる頃や藤の花」と詠んでいます。「有名な句ですが、季節的におかしく、八木で詠まれていることから、高野を回って二度目に奈良へ戻ってきたときのものと思われます」と先生。
ほかにも、時節や風景とそぐわない歌や紀行文があり、これは「芭蕉の死後、一門の乙州によりまとめられたことと、芭蕉もあまり資料を残していなかったからだと思われます」と説明されました。
さて、西行を敬慕していた芭蕉は、憧れの花(桜)の吉野に3泊しました。その間に詠んだのはわずか3句。先生は、「しかも感動の歌はなく、感動のあまり表現できないと、自身も歯がゆい思いをしたようです」と話されました。と同時に『野ざらし紀行』で奥吉野を訪れた際の記述を示し、「『野ざらし紀行』のほうが完成度は高いです」とその差異に言及されました。
次に高野、紀三井寺を旅する芭蕉ですが、なんと紀三井寺では一句も詠みませんでした。ですが「旅の賦」の章で、人との出会いに感じるところ多く、それが旅の醍醐味だと述べています。先生は、「ここは序文とも呼応します。旅は人生とも言え、その喜怒哀楽の中で風雅を楽しみ、句を発しようとするのが芭蕉の意図するところです」とまとめられました。
旧居の庭では、馬酔木の花のつぼみが少しずつふくらみ、茶室では茶花の八千代椿(牡丹)の開花が待たれています。