◇2014-12-08 (月)
本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居で古典文学講座《古今和歌集》後期第2回を開催しました。講師に京都女子大学国文学科教授の西崎亨先生をお招きし、月1回のペースで『古今和歌集』を読み解いていきます。
本日は、<ごとならば? 定家はどの様に解釈したのか?>というテーマで、先生は、「(藤原)定家でもこんなことやるのかな? という話をします」とおっしゃり講義が始まりました。
先生は、「ことならばさかずやはあらぬ さくら花 みる我さへにしづ心なし」(日本古典文学大系)の歌の、伊達本『古今和歌集』(定家筆)と毘沙門堂本『古今集注』、京都女子大学蔵谷山文庫本『古今涇渭鈔』の3例を挙げ、その声点(しょうてん)について説明されました。声点とは、文字の四方に付けた点「・」で、中国語の音調を示す点を日本語のアクセントを示すのに平安時代から多用され始めた記号です。
左下から時計回りに「平声」「上声」「去声」「入声(にっしょう)」があり、「入声」は声を飲み込む形で「集」「仏」「学」のように「p・t・k」を伴い、単点なら清音、複点だと濁音・濁声点になります。アクセントの違いによる意味の異なりは重要で、『男たちのララバイ』『浦島太郎』『お山の大将』の歌詞を例に説明されました。
先生は、定家が「ことならは」を「ごとならば」と濁音表記を施している点に注目、近代語以前において自立語の語頭に濁音節が来ることはないので「これは問題!」と指摘されました。現代語においても、語頭が濁音で始まるものは「ぼけ」「ばか」「ずるい」「だます」「だるい」「ぼんくら」など、けなし言葉に多いとのことです。
そして、「それならば『ことならは』で考えましょう」と、古今集の初句が「ことならは」の歌を4首挙げ、その注釈を毘沙門堂本『古今集注』と『新潮日本古典集成』を参考にしながら読み解いていかれました。「前期講座の最初に話しましたが、亀井孝が『古今集の注釈のために』で<いろんな注釈があるが、自分の趣味の押し売りだ、云々>と書いているように、根拠のあるものならいろんな解釈があってよし、なのです」と結論付けられました。
さらに、「広く多く読むのもいいですが、何かにこだわって読むといろんなものが出てきて面白い、と申し上げたい」と話し、「今日は、なぜ定家が濁音読みの読み方表記をしたのかについての検証で、定家の評価を少し下げてしまいましたね」と笑って結ばれました。
旧居の南庭では、カエデが残照のような色合いに輝き、子供用プールの水面をその落ち葉が美しく飾っていました。