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◇2013-03-11 (月)

後期古典講読講座《平家物語》第9回を開催

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本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居で後期古典講読講座《平家物語》第9回を開催しました。当館の北森貞次館長を講師に、『平家物語』(日本古典文学全集/小学館)を読んでいます。

本日は、『忠度最期(ただのりさいご)』『重衡生捕(しげひらいけどり)』『敦盛最期』『知章最期』です。清盛の弟、息子、甥、孫のそれぞれ最期を読んでいきました。先生はその読解の助けとして、一の谷の合戦前の源氏と平氏の勢力関係、大手攻めと搦め手(からめて)攻めのコースと戦況などを、地図上で示しながら簡単に説明してから本文に入られました。

忠度は、歌の師・藤原俊成卿に形見の歌を託しての都落ち後、一の谷の西の陣の大将軍でしたが、猪俣党の六野太忠純にやられます。腕を切り落とされ十念を唱えた後、首を討たれ、六野太がそれを名乗り上げるのですが、敵も味方も「あっぱれ」ではなく「あないとほし、武芸にも歌道にも達者にておはしつる人を。あったら(あたら/可惜)大将軍を」と涙を流します。

次に重衡。生田の杜の副将軍でしたが、その勢落ち失せて乳兄弟・後藤兵衛盛長との2騎で敗走となります。途中、重衡の馬が射られると、後藤兵衛は馬を召されてはかなわぬと単騎で逃げ延びます。重衡、自害せんとするところへ庄の四郎高家が駆け付け、生け捕りにします。後藤兵衛はその後"つまはじき"されながら人生を送りますが「この"つまはじき"という言葉の歴史を調べるのも面白いですよ」と先生。

続く敦盛の最期は、「あまりに有名な段ですから、皆さん一緒に音読を」ということでした。敦盛は、忠盛の三男・経盛の子で、清盛の甥に当たります。熊谷次郎直実の手にかかるのですが、わが子ぐらいの青年に熊谷は泣きながら首をかきます。敦盛が身に着けていた笛は、祖父忠盛が鳥羽院から贈られた笛「小枝」で、父経盛、敦盛と相伝したものとのこと。熊谷の父性愛と敦盛の風流心が人々の心を打つ段でした。

知章(ともあきら)は、清盛の四男知盛の子です。生田森の大将軍・知盛は、知章、侍の堅物太郎との3騎となって敗走、波打ち際で父が討たれそうになるのを割って入って討たれます。知盛は、究竟(くっきょう=最強)の名馬で海上の宗盛(総大将)の舟へ逃れますが、馬までは乗せられぬというので海岸に追い返します。馬が主との別れを惜しむ場面(文・絵共)が何とも言えず、涙ぐまれる受講生もありました。

知盛は、「親を助けようとする子が討たれるのを助けられず、恥ずかしい」と嘆きますが、宗盛がその知章を「優れた大将軍だった」と同情、周りにいた平家の侍も皆涙で袖を濡らしました。親が子を捨てたことは責められることですが、それは人間の本性(自分の命が惜しい)として処理され、馬の命を大事にした人であり、彼の心からの反省が人間の真実さで同感できるとされています。

先生のリードと受講生の音読で平家滅亡の巻を進めてきました。来週は、あの『那須与一』ほかを読みます。古典の言い回しや文法にすっかり馴染(なじ)んでこられた受講生の方々の音読は、リズミカルで力強くいい響きがありました。

東大寺のお水取り行事も終盤となった本日は、うららかな春日和でした。このところの陽気で、梅、水仙、馬酔木(あしび)など、旧居の春告げ花は一斉に開花、浅春の装いで来館者を迎えています。
本日は、次年度の古典講座のお知らせがありました。「徒然草」と「伊勢物語」の2本立てです。現受講者の申し込みもありますが、一般公募もしていますので旧居(0742-26-6490)までお問い合わせください。

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