学校法人奈良学園

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◇2012-10-29 (月)

後期古典講読講座《平家物語》第1回を開催

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  • 後期古典講読講座《平家物語》第1回を開催

本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居で後期古典講読講座《平家物語》第1回を開催しました。当館の北森貞次館長を講師に、『平家物語』(日本古典文学全集/小学館)を読んでいます。

秋も深まり、当旧居の庭で、また隣接する奈良公園でも日々紅葉が進んでいます。当館の表庭から裏庭への石畳をツワブキの鮮やかな黄色が彩り、楓も紅みを帯び始め、美しく紅葉した柿の葉がはらりはらりと舞い落ちます。二階の書斎では軒に干し柿ののれんがかかりました。旧居はまさに秋の風情に満ち満ちています。

前回(本年8月20日)までに清盛の政治家としてのセンスを読み取ってきています。先生は「清盛が、進んだ政治感覚を持った人物であること、その代表例が宋との貿易ですが、そういうことを認識すると、歴史が面白くなりますよ」と前置きの後「今日は清盛を離れて、源頼政をピックアップしてみたいと思います」と、頼政の段の資料を基に講義を始められました。

源氏諸流の一つ、清和源氏(摂津・大和・河内)の中の摂津源氏の流れを汲む源頼政は、宮中警護という宮中に一番近いところにいた源氏で、従三位まで上った人物です。保元・平治の乱では、運よく勝者(美福門院=近衛天皇・後白河天皇の母)側に付き、平氏政権下で源氏の長老として中央政界にいました。

その保元・平治の乱の武功に対し、平清盛は後白河から褒賞を受けたのに頼政には何もなく、その後の清盛の専横ぶりとで不満が高まり、高倉宮(以仁王=後白河法皇の第3皇子)と結託して平氏打倒の挙兵を計画します。ところが計画は露見、平氏の追討を受けて宇治平等院の戦いで破れます。

その模様を『宮御最期』の段で読みました。頼政は平等院で自刃し、その首は家臣により宇治川に沈められます。南都まで落ち延びようとしていた高倉宮も、大衆(僧兵)の出迎え間に合わず、木津・山城で追撃され落命します。

さてその頼政ですが、武勇もさりながら優れた歌人でもありました。老齢になっても許されなかった昇殿を、わが身述懐の歌で叶え、正四位から三位へも境遇を嘆く歌で昇進しました。

その内容の『鵼(ぬえ)』の段を読み解いた後、先生は、頼政の歌の中から秀歌4首を選んで紹介されました。頼政は、宇治で最期を迎えた折にも「埋木のはな咲く事もなかりしに身のなるはてぞかなしかりける」と辞世の句を残したことになっています。

次回(11月12日)は、頼政の謀反は何のためだったのかを読み取り、文覚上人を取り上げて読み進む予定です。

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