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◇2012-09-24 (月)

扁額『直哉居』受納記念講演会を開催

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本学園のセミナーハウスである志賀直哉旧居で、扁額『直哉居』受納記念講演会を開催しました。講師には書家で岐阜女子大学名誉教授の中村重勝先生をお招きして、「熊谷守一と書」と題した講演を行っていただきました。

先の9月11日、志賀家から扁額『直哉居』が「この旧居にこそふさわしい」と寄贈されました。扁額は直哉と親交があった画家熊谷守一(1880-1977)によって書かれたものです。熊谷は書にも堪能で、旧常盤松(東京都渋谷区)の志賀邸新築のときに贈りました。

中村先生は、「熊谷守一を好きな人間が話をすることで、彼に関心を持っていただければうれしいです」と前置きして、熊谷の略歴紹介から始められました。岐阜県恵那郡付知村(現中津川市付知町)の素封家に生まれた守一は親の反対を押し切り画家になります。恋愛結婚後、2男3女を得ますが、二男は3歳のとき肺炎で、三女は赤児のとき病死、長女も22歳で亡くなります。

先生は、熊谷の生涯を追いながら、プロジェクターで熊谷の作品を紹介していかれます。熊谷が57歳のとき、当時この旧居近くに住んでいた後輩の洋画家・浜田葆光(1886-1947)の世話により大阪の阪急で初個展を開き、絵は完売しました。その個展の推薦文を書いたのが葆光と志賀直哉でした。

熊谷が書を始めたのは、葆光宅で空海の書いたものを見たのがきっかけだったそうです。先生は「一行阿闍梨耶」ほか、熊谷の書の作品も次々と紹介され、その墨色や筆力、字形と配置などを書家ならではの目で解説されました。

そして、旧居に掲げられた扁額『直哉居』について、「空間の上のほうに寄せて書いた文字。書道家ではできない構図ですが・・・」「この額がこの旧居に来たことに感動し喜んでいる」と話されました。持参された朱墨も参加者に回覧されました。

ちなみに熊谷は、87歳のとき文化勲章の内示を辞退しますが、「わたしは国のお役に立つようなことはしていませんから」というのがその理由だったようです。作品には良寛の言葉や斎藤茂吉の歌が多いのですが、「茂吉の歌を書くと、明るくきれいな作品に仕上がる」と語ったことや昭和天皇とのエピソードなども披露されました。

最後に先生は「熊谷の書のような書体や構図で書くと現在の展覧会では落ちますが、彼の作品の特徴である "心を表現する"書を真似たいと思います」と結ばれました。

出席者からは「大好きなこの旧居に扁額が来たこともうれしいし、その額の作者が直哉と親交があった熊谷守一で、その熊谷の人となりの話を聞けて大変良かったです」「熊谷の『陽が死んだ日』の絵に惹かれて彼のファンになったのですが、書にもその人柄がにじみ出ていますねえ。出席できてよかったです」とそれぞれ思いを語られました。

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