◇2012-08-07 (火)
本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居で古典講読講座《平家物語》第9回を開催しました。当館の北森貞次館長を講師に、『平家物語』(日本古典文学全集/小学館)を読んでいます。
暦の上では立秋の今日も、日ざしが照りつけ絶え間なく蝉時雨が降り注ぐ猛暑日となりました。旧居の玄関で涼やかに迎えてくれた赤いホオズキとムラサキカッコウアザミに、その暑さをひととき忘れさせてもらったという受講生が多かったようです。
本日はまず、平家三之巻の目録と梗概(あらすじ)に目を通して、前回からの流れと三之巻の残りの章の内容を追いました。中宮徳子の皇子出産は喜ばしいものの、この頃から不吉なことが起こり始めます。俊寛は絶食して死に(『僧都死去』)、重盛は父清盛の暴悪を諌めんと熊野に詣で、願叶って病に伏し、清盛が差し向けた名医も名薬も断り亡くなります(『医師問答』)。
後白河法皇も気に染まなくなった清盛は、大群を率いて福原(現神戸)から上京、法皇の使者・静憲法印に朝廷への不満を述べますが、賢者・静憲法印に相応の扱いでかわされます(『法印問答』)。続いて『法皇被流』を、先生の解説で読み進みました。
平氏は、院の御所を軍勢で囲み、後白河法皇を捕らえ鳥羽殿へ流します。都大路の人々はこの非常事態に誰もが涙し、先の大地震に加えて先行きの不安を覚えたとあります。静憲法印が駆けつけてみれば、法皇は涙しながら読経中。高倉天皇は法皇の鳥羽殿監禁を嘆き絶食してしまいます。賢王・二条院は、六条院に皇位継承していましたが、13歳で崩御しています。
四之巻に入り、梗概で『厳島御幸』です。高倉天皇は3歳の安徳天皇に譲位、外戚となりその権勢が頂点に達した平氏への表敬訪問として厳島に参詣します。ところで、法皇の第二皇子で不遇な状況にあった高倉宮に、源頼政が平氏討滅の旗揚げを勧めます(『源氏揃』)。出羽、伊賀、摂津、熊野、伊豆、陸奥など全国から馳せ参ずる源氏の名を挙げるくだりでした。
さて、『鼬之沙汰』『信連』『競』『山門牒状』『南都牒状』などを梗概で追った後、「『橋合戦』は名文ですので、皆さん声に出して読んでください」と先生。そして「今までは歴史物語で説明的でしたが、これからは平家物語らしい語りになっていきますよ」と続けられました。ここでは人物のいでたちの描写が多く、先生はカラーコピーでそれらを説明されました。
この段はまた、合戦の勇ましさ、豪快さが出ている場面です。源氏の武者も果敢な戦ぶりを見せますが、結局高倉宮は奈良(興福寺)へ逃れる途中で討ち死にします。次回20日は、清盛の政治がどんなものであったのか「福原と清盛」をテーマに読んでいきます。