学校法人奈良学園

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◇2012-07-02 (月)

夏期近代文学講座第5回を開催

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本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居で緑陰講座「文学表現の諸相」第5回を開催しました。講師は京都大学以文会評議員で文学講師の植村正純先生です。

本日は前回から読み始めた井上靖の『わが母の記』の続きからです。先生は、「この『わが母の記』3部作は、 "私(視点人物)"の目を通して母の人生を描きながら、80年90年という人生が持つ人間の本質のようなものを井上靖が感じ取って、それを言葉の世界に表出したものです」とおっしゃって、キーワードを押さえながら読み進められました。

以下はその『わが母の記』で、作者の目を通した「母」と「作者の心情」の要旨です。

『花の下』で80歳の母は、「壊れたレコード」のような哀れさの一方で、少女の頃のいとこ違いの異性を語る初々しさを感じさせながら、「人生を消しゴムで消していく」かのようでした。「人間の(特に女性の)肩に降りかかる塵の重み」を感じているのかと母を思いやる"私"でした。

『月の光』での母は85歳。邪気が微塵もない無邪気さと、枯葉のようなはかなさを見せますが、"私"はそこに「愛別離苦」を見つつ、「素朴な感性」を感じます。また赤ん坊の"私"を探し回るという幻覚も起き始めます。先生は、「老いて"特異な母"を描きながら、"人間の典型=普遍"を描いています」と解説されました。

『雪の面』は『月の光』のときから4年余り経って89歳で死に見舞われる母の終末期です。「静かな明暮」の母から幼児化していく(赤ちゃん返り)母の性格を分析、「驕慢で我儘であったろう」幼女の頃の母に戻って欲しいと願う"私"は、夢遊病者のようになった母を「状況感覚の中に生きている」と思います。

そして"私"は「母に昔のことを思い出させる権利はない」という思いに至り、今の母に「最期のときの人間の真の孤独の姿」を見るのです。

読後、先生はある作家談を引用、「母の心に生きる人間終末期のポエムを散文の中で謳い上げている」と結ばれました。そして、『月の光』と『雪の面』の間で書かれた『桃李記』のさわりをご紹介くださいました。奈良を愛した井上靖らしく、「お水取りがすまぬうちは関西に春は来ない」の表記がある作品です。

梅雨の晴れ間が広がった本日は、旧居の池畔のマメツゲにモリアオガエルの2回目の産卵が見られました。芝生の庭には、モジズリ(ネジバナ)のかわいらしい花がくるりくるりと螺旋(らせん)を描いていました。

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