学校法人奈良学園

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◇2012-05-14 (月)

特別公開講座《古典文学シリーズIV》を開催

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本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居で古典講読講座《平家物語》第3回を開催しました。当館の北森貞次館長を講師に、『平家物語』(日本古典文学全集/小学館)を読んでいます。

第3回目となる『平家物語』は、薫風香る五月晴れのもと、前回同様、満席状態で始まりました。本日の段は『二代后』からですが、内容を把握しやすくするためにと、院政時代の天皇家の継承問題、摂関家・藤原一族や源氏と平氏について、時間をかけての前段がありました。

先生はまず、72代白河天皇から79代六条天皇までの系図を板書、74代鳥羽天皇のあと、崇徳天皇、近衛天皇、後白河天皇、二条天皇と皇位が継承されていく間の複雑な勢力争いを説明、後白河天皇の即位が異常に長かったことと、退位後も政治に関与したことで、後々の世が変わっていったと話されました。

続いて、「藤原氏の衰退と源氏の勢力」と題した資料をもとに、<村上源氏が重職を占めたのは何故か?><院政を支えていたのは?><源平相並ぶ>の3点について詳しく解説がありました。それによると、源氏の娘が道長の直系と婚姻関係にあったことが、村上源氏の重用につながったということです。

また、院政を支えていたのは、[1]受領(地方政治の長・お金持ち) [2]近親(特に乳母方の勢力) [3]北面の武士(院御所の北面=北側の部屋=に詰め、院の身辺を警衛した武士。白河法皇が創設)だと説明されました。

源平の勢力についても、法王の思惑が源義家から平正盛へ移るなか、両者は領有地争いを繰り返しつつ、源平で寺社の強訴を防御したり身内争いもしたりするうち、平忠盛(清盛の父)のとき、平氏が俄然頭角を現し、やがて保元・平治の乱へと向かうという時代背景を学びました。

さて、『二代后』の后とは、近衛天皇の后であった多子(まさるこ)です(天皇13歳、多子12歳)。近衛帝は17歳で崩御、二人には子もなく、多子は前皇后宮として静かに暮らしていました。ところが、多子22、23歳のとき、二条天皇の元へ入内するようにと宣旨、多子は悲嘆にくれ、天皇の父・後白河上皇も諌めますが、天皇は聞く耳持たず、多子の父(頼長)も、「世にしたがはざるをも(ッ)て狂人とす」と言って、入内の準備を進めます。

次回は、『額打論』『清水寺炎上』『鹿の谷』の段に進みます。「以前にも『平家物語』を学んだことがありますが、こんなに広く奥深く教わったのは初めて。楽しいです」と話される受講生もおられました。若葉も濃くなり始めた旧居の庭ではピンクのサツキが甘い香りを漂わせ、茶室前ではヒメウツギが白くかわいい花をつけています。池のモリアオガエルももうじき産卵を始めるのではと、期待されるこのごろです。

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