◇2012-03-12 (月)
本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居で春期近代文学講座「光への憧憬」第3回を開催しました。講師は京都大学以文会評議員で文学講師の植村正純先生です。
お水取り本行のクライマックスのこの日は、真冬に逆戻りしたような冷え込みでしたが、今日も隣室のサンルームまで満席になるほどの出席でした。植村先生は、前日行われた東日本大震災1年追悼式典での「遺族のことば」に寄せ、「"事実は小説より奇なり"と言いますが、 言葉にならないくらい大変なことを、よくあれだけの言葉にまとめられた」と、悼みの言葉で始められました。
そして「短歌は悲しきWonneである」という斎藤茂吉の言葉を示して、「"Wonne"は歓喜とか至福の意で逆説的ですが、"悲しさを含んだ昇華"でしょう。ハンディがあるからこそ、それが心の衝迫となり創作のエネルギーとなるのです」と。「来年は"赤光百年"、茂吉の第一歌集『赤光』が出た大正2年から100年なのですが、何故当時この歌集が大反響を呼んだのかを学んでいきましょう」と続けられました。
次に、前回の日野文学を、光の心象風景を描くことによって「意識」「自由でしなやかに空虚」「孤独であることを」を主張していると再確認された後、竹西寛子に進まれました。彼女は『竹取物語』や『源氏物語』、『古今和歌集』など、古典文学の中に取り入れた光により間接的な自己表現をしている作家とのことで、その作品『神馬』を読みました。
その中で"利他"という言葉に触れられ、他を害するつもりはないのに結果的に"独善"になり、更に"偽善"にまで至ることもあり、漱石の『三四郎』『虞美人草』を例に「"偽善"は女性に多いです」とおっしゃって受講生を笑わせられました。
続いて、日本語の音節の響きの重要性を再度取り上げられ、言葉の意味のほかに"声調"が人に訴えかけるものは大きいと力説、「最近の歌は曲が先で歌詞は後からのものも多いそうですが、"まず歌詞ありき"であってほしいですな」と。そのあとで五輪真弓の「恋人よ」の歌詞を朗読、口ずさんでくださいました。
「今日も舌が歩んでしまって・・・」(先生談)と、楽しく勉強になる余談が大盛りでした。東京からお水取り観光に来て旧居に立ち寄ったという見学者も、「いい講座ですね。私も勉強し直します」と、先生から資料を頂いておられました。旧居南庭の白梅や玄関先の馬酔木(アセビ)が一斉に花開き始め、行きつ戻りつしながらも春はもうそこまで・・・、と感じさせてくれます。