学校法人奈良学園

ニュース & トピックス
ニュース & トピックスニュース & トピックス

ニュース & トピックスニュース & トピックス

◇2010-12-13 (月)

冬期公開講座《近代文学シリーズⅠ》第1回を開催

本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居で冬期公開講座《志賀直哉旧居で読む近代文学シリーズⅠ》(全6回)の第1回目を開催しました。本シリーズは、講師に京都大学以文会評議員の植村正純先生をお招きして、井上靖と志賀直哉の作品を読み進めていただきます。

先生は、まず井上靖の作品を「小説家であり詩人であった彼を、"詩"を通して、その作品像と作者像とを探っていきましょう。彼の小説は詩が母体になったり、詩が開花していったりしているものが多いですから」とおっしゃり、用意の資料(井上靖の略年譜、散文詩、少年期を過ごした沼津市の地図など)をもとに、井上靖の少年期・青年期の心象風景を追うことから始めました。

「思うどち 遊び惚けぬ そのかみの 香貫 我入道 みなとまち 夏は夏草 冬は冬濤」
これは、井上靖文学館(沼津市)の前の文学碑文にある自筆の詩ですが、沼津の香貫山、我入道や千本浜などを遊び回った少年期を「千個の海のかけらが、千本の松の間に挟まっていた。少年の日、私は毎日それを、一つずつ食べて育った」「青春の粒子がきらきら灼いている感じである」と振り返っています。旧制沼津中学の4年間、友人たちとの遊び惚けた経験が、『しろばんば』や『夏草冬濤』などの自伝風小説の母体になっていることを読み取りました。

「こゝちよき衣のしめりよ靄ふかき灯ともし頃の町をゆきけり」「真赤なるゆふやけ雲よ母と来し峡の小町を想ひ出づる日」(『衣のしめり』)
彼はまた、沼津中学の学友会会報に9首の短歌も発表(19歳)していますが、啄木に心酔していたような下の句の詠みぶりです。

以下、略年譜から井上靖(1907~1992)の生涯を簡単に紹介します。
代々医業の家に生まれ、幼少から祖母(戸籍上)に育てられ、金沢四高では理科を専攻、柔道でインターハイ出場したほど文武両道の人であり、九大英文科に進むが、中退して京都帝国大哲学科に入学。しかし、講義はそこそこに、文学活動に勤しみ、大阪毎日新聞社編集局に就職。学芸部、文化部、社会部を経て、文化部に復帰、その間『闘牛』『猟銃』を「文学界」に発表。翌年(43歳)、『闘牛』により芥川賞を受賞し、東京本社出版局付で創作に専念する。以後、次々と書き続け、昭和56年(74歳)、日本ペンクラブ会長に就任。その折、会で各地を取材旅行するが、団長自ら遅刻の常習犯だったとか。というのも、井上靖は克明なメモを取り、モノ一つ測るにもメジャーより正確とすべて歩測したほどの人で、「彼の創作に関わる思いが感じられるエピソードですね」と植村先生。

初冬の雨が旧居の石畳や庭木を濡らした肌寒の日でしたが、受講者の皆さんは、先生の少々ハイテンポながらユーモアも交えた楽しい講義に、熱心にメモを取り、資料を目で追いながら耳を傾けていらっしゃいました。年明けの次回は先生からどんな井上靖像が伺えるのか、どんな切り口で作品を読み進めてくださるのか期待に満ちた表情で、口々に「良いお年を」と旧居を後にされました。

▲ページトップ

Copyright (C) Naragakuen. All right reserved.