◇2017-07-24 (月)
本学のセミナーハウス・志賀直哉旧居において、京都大学以文会会員・植村正純先生を講師にお迎えし、近代文学における「文学表現の諸相」を学んでいます。
竹西寛子の作品から「五十鈴川の鴨」と、井上靖の長編小説「城壁」を紹介し、両作家の小説における文学表現を題材に、文学作品におけるモチーフ表現について学びました。
「五十鈴川の鴨」では、登場人物(岸部)が、本来であれば幸せな家庭を築いていたはずなのに、被爆者であるが故に、それに背を向けて静かにこの世を去っていきます。小説の題名ともなった場面ですが、かつてお参りをした伊勢の五十鈴川で見た鴨の幸せそうな家族を「いいなあ」と呟く場面は、彼の悲しみを深く表現していました。
一方「城砦」では、被爆者としての苦しみを背負った主人公(透子)が、最後に死を選ぶ際になって投げかけられた「愛が信じられないんなら、愛なしで行きてごらん。(中略)生きるということは恐らく、そうしたこととは別ですよ」と言う言葉に、もう一度、自分なりに生きて行こうとする姿を描いています。
「五十鈴川の鴨」と「城砦」に共通するものは、いずれも原爆による被爆者が小説の主要人物として登場しています。そして両者とも原爆そのものをダイレクトに題材にするのではなく、被爆者としての人生に焦点を当て、人間としての内的な悲しみや苦しみを通してそれを表現しようとしていることを読み解きました。
旧居の庭の池では、種を植えてから6年の歳月を経て、始めてハスの花が咲きました。水面から凛と伸びた蓮の花が、厳しい盛夏の厳しさを和らげてくれているようでした。