学校法人奈良学園

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◇2015-08-17 (月)

白樺サロンの会第4回 美術史家・平瀬礼太氏「戦争と美術」の講義を行いました

  • 白樺サロンの会第4回 美術史家・平瀬礼太氏「戦争と美術」の講義を行いました
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本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居において、美術史家・平瀬礼太先生を講師に迎え、『戦争と美術』と題した特別講座を行いました。本年は戦後70年の節目の年。当時の美術はどのようであったかを実際に作品を見ながら振り返りました。

多くの書物のなかで戦中は「美術史において空白の時代」とされてきました。果たして本当にそうなのかと先生は問われます。

実際に日中戦争のさなかである1930年代には、フォーヴィズムやシュルレアリズム、プロレタリアリズムといったさまざまな画風が見られます。戦争中ではありましたが美術は確かに存在していました。1939年には、前衛美術家たちから成る美術文化会が設立されるとともに、陸軍の外郭団体として陸軍美術協会も設立されています。

1940〜41年は美術にとって微妙な時期となります。41年には瀧口修造、福沢一郎が治安維持法違反の罪で逮捕されたこともきっかけの一つでしょう。シュルレアリズムは影をひそめます。

しかし、美術は「空白」ではありませんでした。むしろ最盛期ともいわんばかりの盛り上がりなのです。いわゆる軍需インフレで書画骨董の価格は高騰し、多くの画家が軍人からの依頼で絵を描いていました。また、聖戦美術展などの展覧会は日本国内のみならず、ソウルや満州、台湾などにも巡回し、400万人近い人々は鑑賞に訪れたと先生はいいます。

戦時中に描かれるのは戦意を高めるための戦争画を想像しますが、実はそればかりではないことも講座では紹介されました。兵隊に配布される手帳のようなものには美人画や風景画が挿入されています。「戦争に寄与する」ことは、戦意を高揚させるだけではなく、兵たちに癒しをあたえる絵を書くのも一つの寄与であると先生は説かれました。

戦後、美術批評家にとって戦中の美術は「パンドラの箱」だったと先生は言います。作品の多くは行き先がわからず、また敗戦の際に焼却されましたが、つぶさに見ていくと、それらは決して一様ではなく、また「空白」などではないことがわかりました。これらに蓋をするのではなく、客観的に見ていきたいと先生は述べられるとともに、それが戦争を考える一つの視点、きっかけになればとも話されました。

お盆も終わり、旧居のサロンを抜ける風がいくぶん涼しく感じられます。

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