学校法人奈良学園

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◇2013-01-28 (月)

後期古典講読講座《平家物語》第6回を開催

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古典講読講座6_5
古典講読講座6_6
本学園のセミナーハウス・志賀直哉旧居で後期古典講読講座《平家物語》第6回を開催しました。当館の北森貞次館長を講師に、『平家物語』(日本古典文学全集/小学館)を読んでいます。

本日は、『実盛(さねもり)』からです。源氏が勢いを持ち、敗走を続ける平氏、その両者の戦ぶりが内容となっている巻の中の一段で、武蔵国の斉藤別当実盛の最期を武士の鑑のような人として書かれています。

木曾義仲に追われながらも、一騎で果敢に義仲軍に立ち向かった実盛のいでたちは、鎧兜に馬も鞍も大将級のものでした。それは平知盛に借りたものでしたが、その粋な格好に義仲の家来は、ただ者ではないと思って一騎打ちを挑みます。結果、実盛は破れ、その首は義仲に検分されます。

義仲は、2歳のときの記憶(父義賢が殺された時、実盛は義仲の命を救済)から「実盛だろうが、あの頃からごま塩だったのに、びんぴげの黒いのはおかしいなあ」と言います。実盛と親しかった樋口次郎が言うには、「斉藤別当は、『60歳過ぎての戦場では若々しくありたいので白髪は染める』と、常々口にしていました」とのこと。洗ってみると白髪になったといい、その心意気があっぱれだと評されました。

先生は、松尾芭蕉が『奥の細道』で「むざんやな 甲のしたの きりぎりす」と、実盛をはかなむ句を読んでいる話に続いて、芭蕉が義仲の菩提寺「義仲寺」に「自分の墓も義仲に並べて」と遺言したことに触れ、「平家物語のゆかりの地を旅した芭蕉が、思いを寄せた人々を探るのも興深いですよ」「義仲寺のある大津は日本の歴史の要ですから、機会があればそういう目で大津を訪ねてみてください」と話されました。

その段を参加者全員で音読しました。実盛のいでたちの修飾や一騎打ちでの口上のやり取り、義仲や樋口のセリフなど、促音便の歯切れもよく読まれました。次の『主上都落』に入ったところで、続きは次回になります。本日は、前々夜に奈良の伝統行事である山焼きがあった若草山は雪化粧という厳寒の日でしたが、今年初の講座とあって皆さん楽しみに出席されたようです。

この日はまた、志賀直哉やこの旧居のファンにとってうれしいニュースが館長から披露されました。暮れに志賀直吉氏(直哉のご子息)から「この旧居にこそふさわしい」として、昨夏の扁額「直哉居」に続いて直哉愛用の書斎机、二月堂文机、クローバー型のテーブルや大壺が寄贈されたのです。壺以外はそれぞれ当時の位置に配され、受講生は感慨深そうにご覧になっていました。


【寄贈された旧居ゆかりの品々】
●書斎机(1階書斎):
 池のある庭に面した大窓に向けて置かれ、両袖に引き出しが付いた重厚な造りの机です。
●二月堂文机(2階書斎):
 直哉が、交友のあった東大寺の上司海雲(第206世東大寺別当)から贈られたという文机で、
 『暗夜行路』を書き上げたとされる部屋に置かれています。
●クローバー型のテーブル:サンルームに置かれ、家族や来客らに愛用されたミニテーブルです。
●大壺:サンルームの軒下に置かれていた腰高な壺です。玄関に安置されました。

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