
HOME > 志賀直哉旧居について


大正14年(1925年)、 京都・ 山科から奈良・幸町に居を
移した志賀直哉は、幸町の借家で4年間を過ごした後、
この上高畑に宅地を求め、 自ら設計の筆を執り、友人の画家・浜田葆光に紹介を受けた、 京都の数寄屋大工の棟梁・下島松之助に邸宅の建築を依頼しました。
大正元年から始まった、 自身の真のありかを求め続ける彷徨の過程で、東洋の古美術と向き合った直哉は、
大正15年には美術図録「座右宝(ざうほう)」を編纂していますが、 昭和4年に移り住んだこの上高畑の邸宅は、 奈良公園に隣接し、御蓋山、春日山、若草山、高円山などを借景とし、
自然の風景に恵まれ、静寂でしかも明美です。直哉は、ここ奈良特有の自然美と静寂に心をひかれ、執筆活動を行い、昭和12年には長編小説「暗夜行路」を完成していますが、
この地はまた、歴史的な古寺社を訪れるにも近くて便利であり、古美術の研究をするためにも理想的な土地でありました。
志賀直哉が壮年期の13年間(大正14年4月から昭和13年4月)を過ごした奈良での暮らしは、多くの文化人たちと芸術を論じ、
時には遊びに興じて、友人・知人たちとの心の交流を大切にした時間であり、家族の平和と健康を望み、
子供たちの家庭教育を行い、家族の絆を育んだ生活でした。
「兎に角、奈良は美しい所だ。自然が美しく、残っている建築も美しい。 そして二つが互いに溶けあってゐる点は他に比を見ないと云って差支えない。 今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名畫の殘欠が美しいやうに美しい。 御蓋山の紅葉は霜の降りやうで毎年同じやうには行かないが、よく紅葉した年は非常に美しい。 5月の藤。 それから夏の雨後春日山の樹々の間から湧く雲。これらはいつ迄も、奈良を憶う種となるだろう。」 直哉は随筆「奈良」(志賀直哉全集7巻)の最後にこのように書いています。 直哉の奈良での13年間の生活は彼の生涯の中でかけがえのない時間となっていたのではないでしょうか。

| 大正15年 | 志賀直哉、『座右宝』(京都、奈良の古美術写真集)編纂。 |
|---|---|
| 昭和4年4月 | 志賀直哉奈良上高畑に自邸をつくる。 |
| 昭和4年〜昭和13年 | 直哉一家の住居となる。この間、多くの文人、客来訪。(昭和12年『暗夜行路』完) |
| 昭和13年 | 4月、直哉、奈良を引きあげ、東京移住。 |
| 昭和14年 | 旧居、民間人、関信太郎氏に売却。 |
| 昭和14年〜昭和21年 | 同氏住居。 |
| 昭和22年春〜昭和26年 | 米軍に接収され、ヘンダーソン他住居となる。 |
| 昭和26年 | 接収解除。 |
| 昭和26年〜昭和28年 | 空き家。 |
| 昭和28年〜昭和53年 | 厚生省厚生年金宿泊所「飛火野荘」として使用される。 「宿泊所」建て替えのため、解体の話あり、草の根保存運動起こる。 |
| 昭和53年 | 奈良学園理事長伊瀬敏郎の英断により、「買収」保存。 11月8日、奈良文化女子短期大学セミナーハウス「志賀直哉旧居」として一部公開。 |
| 平成12年 | 有形登録文化財指定。 |
| 平成20年 | 10月4日、「志賀直哉旧居保存運動30周年メモリアル」(「白樺サロンの会」主催)にて「直哉の時代に戻す」復元工事発表。 10月30日、「志賀直哉旧居」復元修復工事安全祈願祭。 |
| 平成21年 | 5月2日、「志賀直哉旧居」復元修復工事竣工。全面公開。 |