邸内ご案内

下の間取り図の番号をクリックすると、写真と説明文が表示されます。

邸内地図 1.玄関 2.洗面所・浴室 3.食堂 4.台所・女中部屋 5.サンルーム 6.夫人の部屋・広縁 7.子供勉強部屋・広縁 8.子供の寝室・直哉の居間 9.小プール 10.茶室 11.書斎I 12.書斎Ⅱ 13.客間 14.裏庭 15.中庭 16.池周り

玄関

玄関

天井の垂木は扇形で、瓦屋根を支えて安定した美しさを見せています。
表門を入った所にある木戸をくぐると、石畳の小径の両側に庭木が林のように植えられており、林の中には池も作られています。
玄関戸は美しい井桁格子です。

洗面所・浴室

洗面所・浴室

洗面所は、取り壊されていたのですが、今回の復元工事で元の場所に元の形で設置されました。
お風呂は現代では珍しい角型の五右衛門風呂。もちろん使用可能です。

食堂

食堂

食堂は9.84坪(約20畳)。
白壁の天井、珍しい赤松の長押(なげし)、大きな牛皮張りのソファーなど数奇屋風、洋風、中国風を調和させ、 美しくモダンな造りになっています。
ひっきりなしに訪れる来客はここで家族と一緒に食事をしました。
また、子供たちの娯楽室でもありました。

台所・女中部屋

台所・女中部屋

台所には、大きな流し台があり、台所からも隣の食堂からも開けられる合理的な戸棚が設置されています。
当時は珍しかった冷蔵庫も設置されています。
女中部屋は今回の復元工事での調査で造りがわかりました。

サンルーム

サンルーム

サンルームは7.45坪(約15畳)。
大きく明るいガラス張りの天窓があり、床は特注の瓦(磚)が敷かれています。
部屋の隅には実用と装飾を兼ねた手洗いがあり、食堂からサンルームへの出窓とカウンターがモダンです。
この部屋に多くの文人画家が集い、芸術を語り人生を論じたり、麻雀、囲碁、トランプ等の娯楽に興じました。
そのような集いが人間的な交際の場や文化活動の核となり「高畑サロン」と呼ばれるようになりました。

夫人の部屋・広縁

夫人の部屋・広縁

南側で日当たりが良く台所・食堂と子供の部屋との中間に位置し、健康的であると共に能率的な場所にあります。
床板の下は竹が入れられ、床柱は美しい赤松、棚の天井は葦張りで、女性向きの優しげな数奇屋風の部屋です。
広縁の一部は畳張りとなっており、母が子供へ干渉し過ぎないよう、子供部屋の広縁とは壁でふさがれ行き来できない造りになっています。
夫人は押入れ上段右側の小さい棚の上へ仏壇をまつっていたようです。

子供勉強部屋・広縁

子供勉強部屋・広縁

子供勉強部屋も夫人の部屋と同じく南側の庭に面したところにあります。床にはコルクを敷き、壁には腰板を張った、子供の活動に配慮した造りです。
机、椅子を入れて、子供たちはこの部屋で勉強しました。
サンルームと離れた場所に配置することにより子供たち、来客の双方が気兼ねなく振る舞える点、 夫人の部屋の広縁との境界を塞ぐ事により子供の独立心を養おうとした点など、直哉の子らへ対する細やかな配慮と愛情が窺えます。

子供の寝室・直哉の居間

子供の寝室・直哉の居間

子供たちの寝室は、湿気を防ぐために押入れの床を一段高くしています。
窓は外側が桟がはめ込みになったガラス障子、中間を板戸、内側を障子にし、風雨や防寒に配慮した造りです。
直哉の居間は中庭に面した明るい部屋です。
子供たちの寝室とはふすまを隔てて続きになっていますが、 子供たちは勉強部屋と直哉の居間との間にある踏込から出入りしていました。
踏込の壁の下部には柵がついた窓を設け、風を通すとともに親の優しい心を通わせました。

小プール

小プール

直哉は、大正3年に結婚して昭和7年までの間に2男7女をもうけますが、うち二人が幼くして亡くなっています。 この旧居では五女と六女が生まれています。
直哉は子供たちのために、庭の一角に小さなプールを作りました。子供に対する愛情が窺えます。

茶室

茶室

白樺派の精神を生かしたと言われる6畳の茶室です。
にじり口は大きく障子3枚、中央に炉が切ってあり、各区画の造りが異なったりとても優美な天井など、建築を請け負った下島松之助が 裏千家関係の数奇屋大工だったため、精魂込めて造られています。
直哉は来客と気軽に話をしたり、将棋をさしたりする部屋にするつもりだったようですが、結局、夫人と子供たちのお茶のお稽古に使われたようです。

書斎I

書斎I

6畳の洋室。
北側に位置し、日差しの変化が少ない落ち着いた空間です。
書斎西隣の納戸は書庫として使用していました。

書斎Ⅱ

書斎Ⅱ

直哉の昭和6年4月に書かれた日記に「 これから二階の書斎を充分に利用しよう」という記述があります。
一階の書斎は、窓から見える景色が絶景で、静かで落ち着ける場所だったようですが、南から陽が入るので冬場などは一階より快適に過ごせたはずです。
小説『暗夜行路』もここで書き上げたとされています。

客間

客間

窓から見える若草山の景色がすばらしい客間です。
小林多喜二らがここに泊まったとされています。
この部屋の床の前に飾られていた仏像は、その入手を谷崎潤一郎と争ったものです。
仏像は谷崎の手に渡り、その購入予定金でこの家を建てました。仏像は後に直哉の下に来ましたが、現在は、早稲田大学会津八一記念博物館にあります。

裏庭

裏庭

中庭

中庭

池周り

池周り

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